浦和家庭裁判所熊谷支部 事件番号不詳 審判
主文
相手方は申立人に対し婚姻費用の分担として金二七五、〇〇〇円を即時に、昭和三七年四月から申立人と相手方とが離婚しまたは同居するに至るまで一ヶ月金五、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。
理由
(申立)
本件申立の要旨は「申立人は昭和二二年二月一二日相手方の四番目の後妻として結婚し、婚姻届をして爾来一二年余に渉り、相手方と共同生活をして来たが、相手方は先妻の長男清と三女キクノと意思を通じて申立人を追い出そうと画策し申立人に暴言、暴行をし、遂に昭和三二年九月一八日申立人が家族の食事に毒物を投入したと云いがかりをつけて乱暴するに至つたので申立人は身の危険を感じ相手方の同意を得て一時生家に帰つたのであるが、その後相手方より申立人を追い出す旨手紙でその意向を伝えて来たので、所轄警察署に相談のうえ身の安全を図るため相手方のもとに帰るのを断念し爾来引き続いて相手方と別居して現在に至つている。申立人は間借りをして独りで生活しているが、生活費が不足するので婚姻費用の分担として相手方に対し申立人の生活費毎月一五、〇〇〇円ずつを、別居を始めた昭和三二年九月一八日以降将来に亘つてその支払を求める。」というのである。
(当裁判所の判断)
記録によると本件は昭和三三年四月九日生活費請求家事調停事件として当庁に係属し、七回の調停期日を重ねたが遂に調停が成立するに至らず、同年九月三〇日調停不成立として事件が終結した結果当庁に家事審判事件として係属するに至つたものである。
よつて按ずるに、東松山市長作成の戸籍謄本、東松山警察署長作成の証明書、藤間弘行作成の診断書(二通)、東松山市長作成の回答書および証明書、申立人作成の収入支出明細を記載した書面、相手方作成の昭和三三年一一月付上申書と当庁調査官の調査結果とを綜合すると次の事実を認めることができる。
一、婚姻と別居の経緯
申立人はその主張のように、当時村の収入役を勤め一町余の田畑を所有耕作していた相方手と結婚し婚姻届をして相手方および先妻の子供と同居し、農事、山仕事および家事労務に従事して来たがその後、申立人と相手方との性格が合わないことが主因となつて次第に夫婦仲が円満でなくなり、殊に申立人が饒舌で家庭内の悪口を他言したり、昭和二六年頃には三女キクノを足蹴りにして負傷させ、相手方や子供達にこれがもとでキクノがカリエスを発病したものと誤解させて憤りを買い、相手方もまた申立人に暴行したり盗癖がある等と中傷して漸く夫婦の軋轢を昂じさせ、遂には昭和三二年九月一八日朝、申立人が朝食の仕度をしていた際、予め台所にひそんで申立人の挙動を窺つていたキクノが突然、申立人がご飯に毒を入れたと叫び立て、これに呼応して隣室に控えていた清と相手方がその場に駈け寄つて申立人を取り押さえ、引き立ててその所業を叱責し、折檻するという事件が発生するに至つた。申立人はそのことがあつて以来相手方や家族と同居することに身の危険を感じ間もなく生家に帰つたのであるがその後相手方より手紙で申立人との共同生活を欲しない意向を伝えて来たので一旦相手方のもとに戻ろうとしたが、所轄警察署の係官から帰るのは危険であると諭されたためこれを断念し爾来別居を続けて現在に至つている。
二、別居後の申立人の生活状況
別居後の申立人は一時生家で実弟の世話を受けて生活していたが、昭和三三年一月から東松山市内にアパートの一室を間借りして独りで暮らし、同年五月初旬頃から同市内の高坂ゴルフ場の日雇として日給二五〇円で働いて現在に至つている。
しかして収入は別居後右ゴルフ場に勤めを始めるまでは全くなく、その後は、昭和三三年八月から一二月まで五ヶ月間毎月平均四、七〇〇円余(総額二三、六〇〇円余、なお同年五月から七月までの正確な収入額は必ずしも明らかでないが、右ゴルフ場において日給が二五〇円で毎月約二〇日稼働しており、毎月少くとも右同額を下らない。)、昭和三四年中は年間の毎月平均五、〇〇〇円余(総額六〇、四〇〇円余)、昭和三五年中の毎月平均七、二〇〇円余(総額八七、〇〇〇円余、但し同年六月から一二月までの約半年間は病気入院中および退院後稼働できない状態にありその間毎月約九、〇〇〇円の傷病手当を受けていたのでこれを合算したもの)、昭和三六年は同年二月より五月までの四ヶ月間毎月平均七、五〇〇円余(総額三〇、二〇〇円余)、同年一月は病気後で平常の働きができず六六〇円、がいずれも手取収入額であつた。同年六月以降の将来に渉る毎月の手取収入は明らかでないが同年二月から五月までの平均手取収入額と略同様と推認される。これに対して支出は、申立人が別居後暫らく生家で実弟の世話を受けた後昭和三三年一月からアパートに移り独立して現在に至つているが、自己の生活費(衣料、食糧、住居、交際、交通々信、医薬品、その他の費用)として昭和三三年中は年間の毎月平均一九、四〇〇円余(総額二三三、六〇〇円余)、昭和三四年中は年間の毎月平均一六、二〇〇円余(総額一九四、九〇〇円余)、昭和三五年中は年間の毎月平均一三、七〇〇円余(総額一五一、三〇〇円余)、昭和三六年は同年一月より五月までの五ヶ月間の毎月平均九、四〇〇円余(総額四七、四〇〇円余)であつた。同年六月以降将来に渉る毎月の支出は明らかでないが略右平均額と同額と推認される。右支出中衣料費と交際費の占める割合は、昭和三三年中は衣料費の毎月平均五、〇〇〇円余(総額六〇、五〇〇円余で全生活費中約二六%、毎月略平均して支出している。)、交際費の毎月平均三、一〇〇円余(総額三七、九〇〇円余で全生活費中約一六%、毎月略平均して支出している。)両者の合計毎月平均八、二〇〇円余(総額九八、五〇〇円余で全生活費中約四二%)となつており、昭和三四年中は衣料費の毎月平均三、九〇〇円余(総額四九、三〇〇円余で全生活費中約二五%、毎月略平均して支出している。)、交際費の毎月平均二、七〇〇円余(総額四一、五〇〇円余で全生活費中約二一%、毎月略平均して支出している。)、両者の合計毎月平均六、七〇〇円余(総額九〇、八〇〇円余で全生活費中約四六%)となつている。しかして生活費の不足分は申立人の兄弟や親戚から借金して補てんしていたが、昭和三三年一月頃から昭和三五年六月頃までに生活費補てんのために借金した総額は少くとも三〇万円を下らず、申立人には右の外さしたる資産や収入がない。
三、相手方の生活状況
相手方は申立人と別居した後暫らくの間長男清および三女キクノと同居していたがその後昭和三五年四月頃清が独立して爾来相手方はキクノと二人暮しをし、農業に従事する傍ら最近は選挙管理委員等の公職を兼ねている。資産は宅地五五一坪、田七反七畝余、畑一町五反九畝余、山林五町三反六畝余(但し昭和三四年一〇月中に山林の大部である五町二畝余を六人の子供に贈与した。)と木造瓦葺農家住宅一棟外附属建物四棟合計坪数一三七坪を所有し、うち田二反二畝余、畑二反五畝余を他に貸し付けてその余を自作し、その外株式一、七〇〇株を所有している。収入は年間の所得額(課税標準たる所得額で実際の収入はこれより多少上廻るものと推認する資料はない。)が昭和三二年中は年間の毎月平均一五、三〇〇円余(総額一八四、二〇〇円余)、昭和三三年および昭和三四年中は年間の毎月平均各一〇、一〇〇円余(総額各一二一、四〇〇円)であり、支出は食糧(主食の全部は自給)、光熱、交際、交通々信、医薬、娯楽、農業経費(人手不足による人夫賃等)その他の費用を合わせ毎月少くとも一五、二〇〇円余を要し(右のうちには衣料費および住居維持費が含まれていず、その額が幾何であるかは明らかでない。これ等の経費を含めれば右金額より上廻るものと推認される。なお農業経費中通常必要とされる肥料代、農具代等が右のうちに計上されていないがこの経費は右の所得額を算出する以上当然に控除されているものと思料されるから特にこの場合支出額として考慮しない。)その外固定資産税、市民税、国民健康保険税等年間の毎月平均にして約二、〇〇〇円(昭和三五年度総額約二四、四〇〇円、右年度以外の各年度の諸税等の合計支出は明らかでないが略同額と推認される。)を要しているので毎月少くとも合計一七、二〇〇円余の生活費を要する計算になる。当庁調査官の調査報告中相手方の毎月の生活費が二七、〇〇〇円を要するとの相手方の陳述は前述の支出になお衣料費および住居維持費等を要することを勘案しても多額に過ぎにわかに信用できない。しかして右生活費の不足分は次男の仕送りによつて補てんしている。
以上の各事実を認めることができる。
ところで事実上破綻した婚姻関係であつても法律上婚姻が存続する限りは婚姻の当事者は互に婚姻費用分担の義務を負い、当事者の一方が現に扶助を要する状態にあるときは、扶助を要する状態が専ら扶助を受けようとするものの責に帰すべき事由に基因する等他方に扶助させることが信義則にもとり扶助請求権の濫用に渉るような特段の事情のない限り、他方当事者は相当額の婚姻費用の分担をなすべき義務を負うものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前示認定の事実関係によれば、申立人と相手方の婚姻関係はすでに事実上破綻しているものといわなくてはならないが、法律上の婚姻はまだ存続しており、且つ申立人は相手方と別居後殊にアパートに独立して生活するようになつて以来引き続き扶助を要する状態にあることは論を俟たないところである。そして相手方は申立人が別居するに至つたそもそもの原因として、申立人が相手方家族を毒殺しようとし、米飯の中に毒物を投入したというのであるが、一件記録および取寄せにかかる申立人に対する殺人未遂被疑事件捜査記録によるも申立人が毒物を投入したことを確認するだけの資料はない。むしろ一件記録および右捜査記録によると、相手方が申立人を殺人未遂犯人として浦和地方検察庁熊谷支部検察官に告訴した時期は事件のあつたという日より約一年、本件の調停申立時より約半年を経過し、調停不調となつた後の昭和三三年一〇月半ばであることが明らかであつて、いかに相手方において事件を内分にしたい意向を有していたにしても相手方のいう事件の重大性と事件後の相手方と申立人との前示認定の相反目した態度とに照すときは告訴が余りに遅きに過ぎて不自然であり、毒物投入の件は単なる相手方の虚構の言い掛りに過ぎないものと疑われる余地さえないわけではない。従つて相手方の右主張をそのまま採用して申立人の扶助請求を信義則に反し、権利の濫用であるとすることはできないし、他には本件申立が信義則に反する等の如き特段の事情は認められない。
従つて、相手方は申立人の生活費中相当額を婚姻費用の分担として負担しなければならないわけであるから次にその額について検討を進めるに、前述のように申立人の生活費のうち、昭和三三年および昭和三四年の生活費中には衣料費および交際費が多大の割合を占めており(昭和三五年中の生活費の内訳が明らかでないのでこの中に占める衣料費、交際費の割合は明らかでないが前年までの割合から推してやはりかなり多大の割合に達するものと推認される。)この支出は相手方に対して生活費の扶助を請求する申立人にとつて不急の支出を含むものという外はなく、このことは一般には生活費が漸次高騰していることが公知のとおりであるに拘らず、特段の事情も認められない本件において昭和三三、三四、三五、三六年と各年毎に却つて申立人が年を経るにつれて順次少ない生活費で賄い得ている事跡に徴しても明らかである。そして申立人が昭和三六年中毎月平均約九、四〇〇円余の支出で生活することができたことおよび当節の物価事情等を勘案するときはこの金額は申立人が一人で生活するに必要な最少限度の生活費とみることができるから、申立人の別居後これまでの最少限度必要な生活費は毎月九、四〇〇円余ということができる。しかし、婚姻当事者の生活程度は夫婦同一であるものとするのが両性の本質的平等を基調とする婚姻の性質上当然であるから、婚姻費用分担の基準となる生活程度は必ずしも最少限度の生活程度でなければならないものではなく、婚姻の両当事者の社会的、経済的な地位に応じた双方の平等な生活程度にその基準を置かなければならないと解すべきである。これを本件についてみるときは前述の相手方の資産、収入および支出、生活状況並びに社会的な地位を勘案すれば相手方と平等な申立人の生活程度は少くとも前述の申立人の昭和三五年中における毎月の生活費一三、七〇〇円余によつて賄われる程度のものと認められる。しかるときは婚姻費用分担額計算において考慮すべき申立人の生活費の不足額は右生活費と前述の各年中の毎月平均収入との差であり、昭和三三年中は毎月約九、〇〇〇円、昭和三四年中は毎月約八、七〇〇円、昭和三五年中は毎月約六、五〇〇円、昭和三六年以降は毎月約六、二〇〇円(同年一月のみ収入が極度に少ないこと前述のとおりであるが同月より将来に亘る期間を通じてみると毎月平均収入額に殆んど影響がないから右毎月の生活費一三、七〇〇円から前示毎月の収入額七、五〇〇円を引いたものとみて差し支えない。)の計算となる。
しかしながら、相手方もまた固定資産はあるものの、現金収入のみをもつてしては生活費に不足していることは前述のとおりであり、申立人の生活費を負担するとすれば不動産の一部を処分するか借財するかしてこれに充てるより外に方法がないことは充分肯けるところであるし、何よりも申立人が扶助を要する状態に立ち至つた事情には申立人にも一半の責任があることは前叙のとおりであるから、これ等の諸事情を斟酌するときは、相手方の負担すべき申立人の生活費は昭和三三年および昭和三四年中は毎月七、〇〇〇円、昭和三五年中および昭和三六年以降は毎月五、〇〇〇円とするのを相当と認める。
よつて申立人が相手方に対し婚姻費用分担の請求をしたものと認むべき本件の第一回の調停期日が開かれた日の属する月である昭和三三年五月より昭和三四年一二月まで毎月七、〇〇〇円ずつ、昭和三五年一月より昭和三七年三月まで毎月五、〇〇〇円ずつ(以上いずれも履行期の到来した分)の合計金二七五、〇〇〇円を即時におよび昭和三七年四月より将来申立人と相手方とが離婚しまたは同居に至るまで毎月五、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り、各婚姻費用の分担として相手方より申立人に支払わせることとし主文のとおり審判する。